サプライチェーンにおける気候変動リスク・機会の評価・開示:投資家が注目する実践ポイントとIRへの応用
サプライチェーンにおける気候変動リスク・機会の重要性とIR担当者への示唆
企業の気候変動関連リスク・機会は、自社の直接的な事業活動だけでなく、サプライチェーン全体にわたって存在しています。特に、スコープ3排出量の大部分はサプライチェーンから発生しており、物理リスクや移行リスクもサプライヤーを通じて企業に影響を及ぼす可能性があります。投資家は、企業の気候変動戦略とリスク管理の実効性を評価する上で、サプライチェーンにおける気候変動関連の取り組みを重視する傾向にあります。
これは、サプライチェーンにおける気候変動の脆弱性が、製品供給の安定性、コスト構造、評判、そして最終的には企業の財務パフォーマンスや企業価値に直接的・間接的に影響を与えるためです。IR担当者は、サプライチェーンにおける気候変動リスク・機会を正確に把握し、その評価プロセスと財務影響、そして管理・対応策を効果的に開示・説明することが求められています。
この記事では、サプライチェーンにおける気候変動リスク・機会の特定、財務影響評価の実践、そして投資家が注目する開示のポイントとIR実務への応用について解説します。
サプライチェーンにおける気候変動リスク・機会の特定
サプライチェーンにおける気候変動リスク・機会は多岐にわたります。これらを特定するためには、バリューチェーン全体を俯瞰し、各段階での潜在的な影響を洗い出す必要があります。
1. 主要なリスクの種類
- 物理リスク:
- 慢性リスク: 海面上昇、平均気温上昇、降水パターン変化などが、サプライヤーの拠点や物流インフラに影響を与え、供給途絶やコスト増加を引き起こす可能性。
- 急性リスク: 洪水、干ばつ、台風、山火事などの異常気象イベントが、サプライヤーの生産能力や納期に深刻な影響を与える可能性。
- 移行リスク:
- 政策・法規制リスク: サプライヤー所在国の炭素税導入、排出量取引制度、製品規制強化などが、サプライヤーのコスト増を通じて自社製品価格に影響したり、調達制約を生じさせたりする可能性。
- 市場リスク: 消費者の嗜好変化、低炭素製品へのシフト、サプライヤーへの脱炭素要求の高まりなどが、サプライヤー選定や製品設計に影響を与える可能性。
- 技術リスク: 低炭素技術への移行遅れや、新技術への投資コストなどが、サプライヤーの競争力やコスト構造に影響を与える可能性。
- 評判リスク: サプライヤーの劣悪な環境パフォーマンスが、自社のブランドイメージや企業価値を損なう可能性。
- Scope 3排出量関連リスク: サプライチェーンからのScope 3排出量が、開示要求や規制強化の対象となり、排出量削減コストや目標達成へのプレッシャーとなる可能性。
2. 主要な機会の種類
- 資源効率の向上: サプライヤーとの連携によるエネルギー・水利用効率化、廃棄物削減などが、サプライチェーン全体のコスト削減に繋がる機会。
- 低炭素製品・サービスの開発: サプライヤーとの協働による環境負荷の低い素材調達や製造プロセス導入が、新しい市場機会や競争優位性を生み出す機会。
- レジリエンス強化: 気候変動リスクに強いサプライヤー選定や、サプライヤーへの支援を通じた適応策強化が、供給安定性を高める機会。
- ブランド価値向上: サプライチェーン全体のサステナビリティ向上への取り組みが、企業の評判やブランドイメージを高める機会。
3. 特定の手法
サプライチェーン全体のリスク・機会を網羅的に把握することは容易ではありません。特に川上におけるサプライヤーは多岐にわたるため、重要度の高いサプライヤーや調達品から優先的に特定を進めるのが現実的です。
- サプライヤー調査・エンゲージメント: サプライヤーに対して気候変動リスク評価、排出量、適応策等に関するアンケートやヒアリングを実施します。CDPサプライチェーンプログラムのような既存のフレームワークを活用することも有効です。
- 地理情報システム (GIS) の活用: サプライヤーの拠点情報と気候変動予測データを組み合わせることで、物理リスク(洪水、水ストレスなど)への曝露度を視覚的に評価できます。
- デューデリジェンスの強化: 新規サプライヤー選定時や既存サプライヤー評価において、気候変動関連の評価項目を組み込みます。
- 業界団体や第三者機関の情報活用: 各業界特有のリスクや先進的な取り組み事例、地理的なリスク情報などを参考にします。
サプライチェーンにおける気候変動リスク・機会の財務影響評価
特定されたリスク・機会が、企業の財務状況にどのような影響を与えるかを評価することは、投資家にとって極めて重要な情報です。サプライチェーンにおける財務影響評価は複雑ですが、可能な範囲で具体的に進めることが求められます。
1. 財務影響の経路
サプライチェーンにおける気候変動リスク・機会は、主に以下の経路を通じて財務に影響します。
- コスト増加: 原材料価格の上昇(水不足、作物不作)、エネルギー価格の上昇、炭素税負担、サプライヤーの設備投資負担、物流コスト増加(異常気象による遅延)、サプライヤー代替コストなど。
- 売上減少: 供給途絶による生産・販売機会の喪失、低炭素製品を求める市場での競争力低下、サプライヤーの評判問題による製品不買など。
- 資産価値の減損: サプライヤーへの投資や貸付金などの価値低下。
- 事業継続性の低下: サプライチェーン寸断による生産停止、復旧コスト発生。
- 研究開発・設備投資: サプライチェーンのレジリエンス強化や脱炭素化に向けた自社またはサプライヤーへの支援投資。
- 新しい収益機会: 低炭素サプライチェーン構築による顧客獲得、環境配慮型製品による新市場開拓など。
2. 評価手法の課題とアプローチ
サプライチェーン全体での正確な財務影響評価は、情報収集の難しさや不確実性の高さから困難が伴います。しかし、投資家は完全に精緻な数値だけでなく、評価に向けた企業の努力やアプローチ自体も評価対象とします。
- シナリオ分析への組み込み: TCFDが推奨するシナリオ分析において、物理リスクや移行リスクがサプライチェーンを通じて自社事業に及ぼす影響(例:原材料価格の変動、供給量減少)を組み込み、売上やコストへの影響を試算します。
- 重要なリスクシナリオの深掘り: 影響が最も大きいと想定される数個のサプライチェーンリスクシナリオ(例:主要調達先の壊滅的な物理リスク、特定の規制導入によるコスト急増)を選定し、その財務影響をより詳細に試算します。
- コスト試算: サプライヤーの排出量削減目標達成に必要な設備投資やオペレーションコストの増加を、サプライヤーへの聞き取りやベンチマーク情報から推測し、自社の調達コストへの影響を試算します。
- 事業継続計画(BCP)との連携: サプライチェーン寸断リスクについて、BCPで想定される復旧コストや機会損失額を気候変動リスクの財務影響として評価します。
重要なのは、不確実性が高くとも、どのような仮定に基づき、どのような手法で評価を試みているのかを明確にすることです。
投資家が注目する開示ポイントとIR実務への応用
投資家は、サプライチェーンにおける気候変動関連の開示において、単なるリスク・機会のリストアップに留まらない、実効性と財務への繋がりを重視しています。
1. 開示で押さえるべきポイント
- ガバナンス: サプライチェーンにおける気候変動リスク・機会の監督責任が、取締役会や経営層のどの委員会に帰属しているか。関連する意思決定プロセス。
- 戦略: 特定したリスク・機会が、企業の事業戦略や財務計画にどのように統合されているか。中長期的な戦略におけるサプライチェーンのレジリエンス強化や脱炭素化の位置づけ。
- リスク管理:
- サプライチェーンにおける気候変動リスクを特定、評価、管理するためにどのようなプロセスを用いているか。
- 重要なサプライヤーをどのように特定し、エンゲージメントしているか。
- サプライヤーのパフォーマンスをどのようにモニタリングし、評価しているか。
- 主要なリスク(例:物理リスクへの曝露、高排出量のサプライヤー)に対する具体的な対応策。
- 指標と目標:
- サプライチェーン全体のGHG排出量(スコープ3)の開示と、その削減目標(可能であればSBT等のフレームワークに準拠)。
- サプライヤーのエンゲージメント率や評価指標、改善状況。
- サプライチェーンの物理リスクへの曝露度に関する指標。
- 特定のリスク・機会に対する財務影響に関する指標(例:シナリオに基づく潜在的コスト増、サプライヤー支援投資額)。
2. IR実務への応用
- 投資家向け説明会・対話での説明:
- サプライチェーンの重要性とその気候変動関連リスク・機会への曝露について、事業構造と絡めて具体的に説明します。
- リスク・機会の特定・評価プロセスにおける具体的な取り組み(例:〇〇社のサプライヤー調査結果、GISを用いた物理リスク分析)。
- 財務影響評価の前提と結果について、不確実性を伴う情報であることを断った上で、可能な限り定量的な情報や評価アプローチを示します。
- 主要サプライヤーとのエンゲージメント状況や、サプライチェーン全体のレジリエンス強化に向けた具体的な取り組みを説明します。
- 開示資料での表現:
- 有価証券報告書や統合報告書、サステナビリティレポートにおいて、TCFD提言の枠組み(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標)に沿って整理し、分かりやすく記述します。
- サプライチェーンにおける気候変動リスク・機会が、自社の経営戦略やリスク管理体制、財務状況とどのように関連しているかを明確に示します。
- 競合他社のサプライチェーン開示と比較し、自社の強みや独自のアプローチを際立たせる視点も有効です。例えば、特定の原材料サプライヤーとの強固な連携によるリスク軽減策や、先進的な技術導入による機会創出などです。
結論
サプライチェーンにおける気候変動リスク・機会は、多くの企業にとって見過ごせない経営課題であり、投資家が企業の持続可能性と企業価値を評価する上で重要な要素となっています。IR担当者は、サプライチェーン全体のリスク・機会を特定し、その財務影響を評価する取り組みを進め、これらのプロセスと結果を透明性高く投資家に開示・説明することが求められます。
不確実性や複雑さが伴うサプライチェーンの評価・開示ですが、重要なサプライヤーとの連携強化、データ収集手法の改善、シナリオ分析への統合などを通じて、その質を高める努力を続けることが、投資家からの信頼獲得と企業価値向上に繋がります。本記事が、サプライチェーンにおける気候変動関連の実践的な取り組みとIR活動の一助となれば幸いです。